チャロナラン(calonarang)



 バリの伝統的演劇のひとつに、チャロナラン劇がある。芸能と言ってしまうのがはばかれるほど、宗教儀式の要素が強いものだ。もともとオダラン(寺院祭礼)のための奉納舞踊で、ツーリスト向けに上演することはあまりない。
 《アルマ》で、バトゥブラン村のチャロナラン劇を定期公演しようと試みたことがあったが、1度の公演で中止となった。理由は、チャロナラン劇は村人の安全と平穏を祈願してオダランで奉納される演劇で、娯楽だけのために鑑賞するものではないということらしい。上演時間が4時間以上と長いこととバリ語で演じられるため、ツーリストには人気がないことも理由かもしれない。
 バリ通いが高じて、芸能通になると、どうしても1度はチャロナラン劇を見たくなる。
 情報を集めるうち、チャロナラン劇がオダランで儀式の一環として奉納されるのを知る。たいていは、死者の寺と言われるダラム寺院のオダランで奉納されるが、必ず上演されるとは限らないので、見る機会の少ない芸能だとも言える。これは、地の霊ブタ・カロを鎮める儀式でもあるので、ブタ・カロの入ることのできない寺院内では上演されない。できるだけ屋外での上演が好ましいといわれ、ダラム寺院の外庭(ジャボ)で上演されることが多い。
 バリの暦(ウク)でカジャンクリオンと呼ばれる霊力の強い日と新月とに重なった夜に上演されるチャロナラン劇は、霊感の弱い人にも独特の空気を感じることができるはずだ。
 チャロナラン劇は、ギャニアール県を中心とした南部バリにしか見られない奉納演劇だ。
 劇が始まるのは、夜10時頃。深夜0時をはさんで2時頃まで続く。
 中国の古い時暦によると、丑三つ時(午前2時前後まで)は宇宙エネルギーが通わない闇の時刻が訪れるといわれている。この空白の時間帯に、地下の鬼神たちが地表にあらわれて、凶事をおこなうのである。日本でも、この時間帯に亡霊を見ることが多いといわれる。世界共通なのか、それとも中国の時暦がバリにも影響があったのか。はからずもこの時間帯を使ってチャロナラン劇は上演されるのだ。
 チャロナラン劇が最初に上演されたのは1890年頃、ギャニアール県の南部バトゥブラン村のある集落だと言われている。
 上演のきっかけはと言うと。
 この頃、バリ南部は王国間の戦乱に見舞われていた。同時にコレラの蔓延で、人々は混乱し困惑していた。特効薬のない時代のこと、疫病は集落をまるごと全滅してしまうこともある。当時に人々にとって、疫病は凶変だったと考えられる。
 悪いことが起こる原因は、善と悪のバランスが崩れたと考えるバリ人。集落の人々は、たくさんの供物とともに新たな芸能をシバ神、そして、その妻でシワ神の破壊的側面であるドゥルガ神の降臨するダラム寺院に奉納することで、この悪い力を治めなくてはならないと思案した。
 悪霊たちに落ち着いてもらうため、聖獣バロンと魔女ランダを登場させ、決着の着かない善と悪の戦いの物語を上演することが決まった。ランダの面をつけた者がしゃべるようになったのはこの頃だと言われている。チャロナラン劇が創作される以前から、バロンとランダの面はススオナン(ご神体)として存在していたと確認されている。
 善と悪は共存する、というバリ・ヒンドゥー教特有の哲学が新しい劇にも生かされなくてはいけない。そして思いついたのが、ワヤン・クリッ(影絵芝居)のチャロナラン伝説だった。
 チャロナランの伝説は、11世紀頃のジャワ島で栄えたクディリ王国にまつわる話だ。
 あらすじは。
 后のチャロナラン(チャロン・アランと表記されることもある)は、破壊的魔力を持っているということから国王に恐れられ、森深くに追いやられた。
 時が経ち、国王が亡くなり、チャロナランは未亡人となった。
 森深くで密かに暮らすチャロナランの耳に、王国に残してきた愛する娘の噂が届いた。それは、まとまりかけていた結婚話が破談になったという悲しい噂だった。破談の理由は、魔力を持つ未亡人の娘ということだ。
 それを聞いたチャロナランは怒り狂い、王国を呪い疫病を流行らせた。疫病がはびこり、王国は混乱に陥った。
 バトゥブラン村の人々は、この場面に自分たちの置かれた状況の共通点を見いだしたのだろう。そして劇の骨格を、善は王国、悪をチャロナランに据えた。
 国王(チャロナランの息子)は、至急原因を探るようにと大臣に命じた。大臣は聖者ウンプー・バラダに相談した。聖者ウンプー・バラダは「禍の原因はチャロラナンだ」と告げた。
 大臣はチャロナランの住む森へ兵士を送りこんだ。ところが、強い魔力を持つチャロナランに、兵は手も足もでない。
 チャロナランはやがて、墓地を荒らし幼児の死体を掘り起こすという奇怪な行動をとりはじめた。人々は恐怖におののき、国王は困り果て、聖者ウンプー・バラダに助けを求めた。
 聖者ウンプー・バラダは、計略の末、チャロナランの魔力の秘密を知り戦いに挑んだ。互いの力は拮抗し、激しい戦いはいつ果てるとも知れない。チャロナランは、この無意味な戦いに涙した。聖者ウンプー・バラダは、チャロナランに安息の場所を提供することを約束して戦いは終結した。こうして、王国に平穏が戻った、というのが、チャロナラン伝説のおおすじだ。
 この伝説の聖者ウンプー・バラダの化身として、また、善、生、聖の象徴として聖獣バロンが登場し、チャロナランは悪、死、邪の象徴として魔女ランダに化身して劇に登場する。
 聖獣バロンの舞踊で、劇の幕は開く。聖獣バロンが再び寺院に納められると、物語は本筋に入る。 はじめに老婆チャロナランが登場する。続いて、チャロナランの弟子シシアン、そして大臣などが登場し、物語は進行していく。
 終演は、チャロナランがランダに化身して登場する。ランダとはもともと未亡人という意味で、大きな乳房を垂らした衣装に身を包み、上向きにはえる2本の長い牙と口からたらした長い舌に、長い爪を持った見るからに恐ろしい風貌だ。
 ランダの持つ白い布はアントゥンと呼ばれ、武器になるといわれる。アントゥンは、母親が子供を抱くときに使う布スリングのことだ。
 こうして創られた演劇は、チャロナラン劇と命名され、バトゥブラン村のダラム寺院のオダランで村人の平穏を祈願して奉納されたと聞いた。
 このあと、ほかの村々でも、チャロナラン劇はオダランで奉納され、現在に至っている。
 現在チャロナラン劇を鑑賞すると、村々によって、内容や演出が少し異なっているのがわかる。それぞれの村に、それぞれの歴史があり、特徴を出そうとするのだろう。トペン・ジャウッや女性の顔をしたトペン・テレックが踊られたり、中間に、爆笑コントがあったり、聖獣バロンの従者である上半身裸体の男たちが、魔女ランダに呪術をかけられ、自ら己の胸にクリス(剣)を突き立てるトランス(クラウハン=神が憑依すること)・シーンが登場したりする。
 ランダの演者がクラウハンし、墓地に向かって走り出すこともある。ランダは墓地で神からのお告げを村人に伝えるのだそうだ。バンリでは観衆の村人数人が、ランダの手下にクラウハンしてしまう。
 爆笑コントは、バリで有名な役者が登場することが多く、バリ人には人気のコーナーだ。バリ語でおこなわれるので、コントの途中で席を立ち帰ってしまうツーリストが多い。コントが終わると、劇は後半に入り大詰めになる。コントは理解できないので見ないが後半は見たいという人は、客席から離れて煙草を吸ったり、屋台でコピをすすったりして時間をつぶすのもいいだろう。頑張って鑑賞しているうち、ツーリストでもなにげに可笑しさは伝わってくるようになる。
 バロンとランダを含めた登場人物は、ガムランの伴奏で踊る。そういう意味ではチャロナラン劇は舞踊劇ともいえる。
 ツーリスト向けには、短くアレンジされて《バロン・ダンス》《クリス・ダンス》として公演されている。ちなみに現在バトゥブラン村のバロン・ダンスは、インドの叙事詩・マハバラタ物語の一部からストーリが創られている。
 オダランのチャロナラン劇を終わりまで見ずに帰ってしまうと、悪霊が憑いたままなので、あとで病気になったり良くないことが起こったりすると言われたことがある。そんな話を信じてしまう方は、最後まで見ていくか、「お先に失礼します」とお祈りをして帰るかの選択しかない。そんなエピソードが「神々に捧げる踊り・第二章 その九:ジェメン寺院」の後半に書いてあります。
 ツーリストといえども、観賞する側としては、けっこう気合いの入る、興味深い芸能である。



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