トペン・レゴン(Topeng Legong)



 ロンタル[ババッド・ダレム・スカワティ](ロンタル・ロンタル椰子の葉に小刀をもって彫刻された古文書)によると、この踊りの起源は17世紀の半ばだとされている。
 スカワティ王家初代王の長男で、のちの王、デワ・アグン・マデ・カルナ(1775〜1825)は、瞑想好きだった。王は、スカワティ・クテウェル(Ketewel)村のヨガン・アグン・クテウェル寺院で瞑想を続けるうち、ある日、夢を見た。それは、黄金の冠をかぶり、煌びやかな衣裳に身をまとった美しい天女が舞う優美な姿だったという。
 王は瞑想から覚めても、夢に見た天女を忘れることができない。
 なんとかしてあの天女の舞を再現したい。村の娘たちを集めて踊らせてみたが、いくら探してもあの天女の美しさにかなう娘はみつからない。
 そこで王は、天女の面(トペン)を作り、それをつけて踊らせようと考えた。
 そして、クテウェル村の村長に、天女の美しさを表現するための面と踊りを創作するように頼んだ。こうして、トペン・レゴンは生まれたとロンタルにはある。面は、つり目顔のジャワ風だ。
 マンダラ翁からの聞き書き「踊り島バリ(PARCO出版)」99ページには、サンヒャン・レゴンと呼ばれたとある。サンヒャンとは、神様の意味。
 この踊りが[レゴン]と呼ばれる舞踊の最初だと言われている。レゴンの歴史は、この時から始まる。
 芸能や舞踊が、王の娯楽として王宮(プリ)内で催されていた時代のことだ。

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Photo by Rio Helmi

 トペン・レゴンのあと、さまざまなレゴンが創作されたが、面をつけるレゴンはその後作られていないようだ。トペン・レゴンはふたりの踊り娘で踊られる。それを継承して、新しく作られるレゴンも踊り娘はふたりだ(近年になって5人以上のレゴンも創作されている)。
 時代が経過してうちに、娯楽性のある宮廷舞踊も、寺院の奉納舞踊で催されるようになり、庶民も眼にするようになっていった。
 これまで、女性の奉納舞踊は、ジェロアン(一番奥の境内)で踊られるデワ・ルジャン(婦人たちによる神を迎える踊り)、ペンデット(供物を捧げる儀式の踊り)、サンヒャン(神の霊が体内に宿って踊らせるもの)などであった。
 デワ・アグン・マデ・カルナ王のトペン・レゴンの面は、クテウェル村のヨガン・アグン・クテウェル寺院にススオナン(ご神体)として祠に保管されている。
 ヨガン・アグン・クテウェル寺院のオダラン(寺院祭礼)や特別の儀礼の際に、トペン・レゴンの面は祠から出され奉納される。ウブドのチャンプアンにあるグヌン・ルバ寺院のオダランにも、このトペン・レゴンは奉納される。この両寺院でしか見ることの出来ない、貴重な面と舞踊だ。
 トペン・レゴンは、ふたりの少女によって踊られる。踊り娘は、5才からレッスンを受け、8才になるとオダランで奉納する。生理の開始とともに、清浄でないとされ、奉納舞踊はできなくなる。
 奉納舞踊のさい、付き人は、カゴから白い布に包まれた面を取り出し、面を直接手に触れることなく、踊り娘の顔につける。踊り娘も面に触れることはできない。いくつもの面が取り替えられ踊る。
 面は、通常バリで使われているゴムで掛けるタイプではない。口でくわえるジャワ・タイプだ。
 ふたりの踊り娘は、鏡に映したように同じ仕草で踊る。踊りは、あまり動きのあるほうではない。私には、それが返って神秘的に映った。トランスしているようにも見受けられる。こんなところからトペン・レゴンは、サンヒャン・レゴンとも呼ばれている。

※奉納舞踊は儀礼性の強いものから順に、ワリ(Wali)、ブバリ(Bebali)、バレ・バレアン(Balih-Balihan)の3つに分類されて呼ばれる。ワリは儀礼の一部でジェロアン(奥の境内)で演じられる。ブバリ(中庭)は、ワリより少し儀礼性が後退する。バレ・バレアンは、儀礼と関係なく娯楽としてジャボ(外庭)かバレ(建物)で演じられる。トペン・レゴンは神聖な舞踊でワリと呼ばれジェロアンで奉納さられ、通常のレゴンはバレ・バレアンと呼ばれている。

※参考図書:踊り島バリ(PARCO出版)
※ヨガン・アグン・クテウェル寺院とグヌン・ルバ寺院のオダランは、どちらもSINTA(第1週)のBuda(水曜日)KliwanのPagerawasiの日が初日。ヨガン・アグン寺院は撮影禁止。グヌン・ルバ寺院は写真撮影が許される時もある



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