16「椰子の木はスーパーマン」



椰子の木

 ウブドに滞在し始めて、最初に仲良くなったバリ人はワヤン・カルタだ。
 知り合って間もなく、カルタに誘われて、彼の家族が持つ田んぼに遊びに行った。サレン王宮の十字路から、スウェタ通りを北に2キロ行った道沿いに案内された。田んぼの奥の森影は小さな渓谷になっていて、10数本の椰子並木があった。椰子の木がなければ、日本の田舎と変わらない景色だ。
 カルタが、バナナの葉に包まれた弁当を手渡してくれた。これは、バリ風ピクニックだ。カルタは、田んぼの畦道に腰をおろした。わたしは、ロマンチックを決め込もうと椰子の木陰に移動した。座ろうとするわたしに向かってカルタは「そこは危ないです」と注意した。何が危ないだろうと幹を見ると、大きな赤いアリがいっぱい這いずっていた。これに噛まれると痛いのだ。このアリのことか、と指さしてカルタを見ると、カルタの指先は天に向かっていた。
 「椰子の実が、頭の上に落ちてきて死んだ人がいます。だからバリ人は、椰子の木の下は歩きません」
 ホテルや道端にある椰子の木は、熟して自然に落ちる前に、常に人の手によって実が落とされていて安全だが、こういうところに自然に生えている椰子の木は、時々、実や大きな葉が落ちてくる。
 「ヒャー」と言いながら畦に上ろうとした時、うしろで「ドスン」と鈍い音がした。1メートル先に大きな椰子の実が転がっていた。危機一髪だった。
 カルタは「でしょう」とでも言うような顔でニコニコしていた。本当にこんなことがあるのだと、身をもって体験した。
 食事が終わるころ、渓谷の崖を50歳前後の小柄な男性が登ってきた。カルタが「ぼくのお父さんです」と紹介した。
 わたしは田んぼに張られた水で手を洗い、シャツで拭き、お父さんと握手をした。
 カルタの実家は渓谷の反対側にあって、お父さんは、川を渡ってきたようだ。
 わたしの残したバナナの葉にこびりついていた米粒を、2羽の鶏が突いている。バナナの葉は、このまま自然に帰る。手を使って食べるので、プラスチックの容器もスプーンもない、不燃物のひとつも出ない弁当だった。
 このあと、もてなされた椰子の実がまことに印象的だった。それは、サバイバルというジャングル体験であった。
 カルタのお父さんが、10メートル以上はあると思われる背の高い椰子の幹に手を掛けた。お父さんは、幹を抱きかかえると、幹のでこぼこを利用して軽やかな手さばき足さばきでスルスルと登っていった。両足首には、20センチ程の余裕をもたしたヒモが結ばれていた。これが滑り止めになっているようだ。
 幹の頂には、大きな葉が風車の羽根のように幾重にも茂っている。お父さんは、葉の茎に足を掛け、まだ若く青々とした椰子の実をもぎ取った。直接地面に落とすと、実が割れるのではないかと心配で、わたしは手に受けてはどうかと、カルタに提案した。と言っても、椰子の下で大きな実が落ちてくるのを待ち受けるには、勇気がいる。ゴザを持ち出して、2人で受けようとしたが、これも思うように落下点で待ち受けることができなくて失敗。
 お父さんは、そんなわたしたちのやり取りを、木の上から見て笑っている。「ドスン」と音がして、椰子の実が落ちてきた。なんと実は割れなかった。
 落ちた椰子の実をカルタはナタで器用に切り込みを入れ、飲み口を作った。わたしに内の果汁(ジュース)を飲むようにすすめてくれた。実から直接飲む経験はない。椰子の実ジュースを飲むのも初めてだ。
 こうして飲むのだと、カルタが見本を見せてくれた。実を両手で抱え、それを高々と頭上に持ち上げた。ひと筋の流れが、カルタの口にうまく流れ込んだ。口をつけずに口元に流し込むのだ。
 わたしも、カルタと同じようにして飲んでみた。目標が定まらず、顔にバシャバシャとかかった。少し椰子の実をずらすと、こんどは服にかかった。次には、果汁が口いっぱいに流れ込んできた。なんとも清々しい味だ。飲み方もダイナミックで気に入った。
 カルタ、お父さん、わたしと、まわし飲みするうちに椰子の実ジュースは空になった。空になった椰子の実が、2つに割られた。殻の内側についている白い果肉を食べるのだ。椰子の実の表皮で作ったスプーンでこそぎ落としながら、ズルズルと飲み込む。これがまた格別美味しい。
 「バナナの葉もそうだったけど、椰子の実も自然に帰るので、ゴミにならないね」と、わたしは感心したようにカルタに伝えた。カルタは、相変わらずの甘い笑顔で「これは捨てないです」
 この答えには、わたしは絶句した。ゴミでなくて使うと言うのだ。
 カルタはわたしを田んぼに誘って、バリ体験をさせてくれたのだった。この楽しい体験が、わたしをウブドに長期滞在させるきっかけをつくったような気がする。

椰子の木

 バリの文化は〈椰子の文化〉と言う人がいる。確かに、生活にかかわるもの、すべてといってよいほど椰子の木は利用されている。
 椰子の木は、アグン山やバトゥール山などの山間部を除いて、バリ島のほとんどの地域に生育する。特に、西部バリの海岸地域に多い。寿命は約50年ほどで、1本の椰子の木から毎年100個を越える実が収穫できるそうだ。
 椰子の木は種類が多く、インドネシア語では総称してKelapa(クラパ)、バリ語ではNyuh(ニュー)という。ウブドの南に位置するNyuhkuning(ニュークニン)村は、黄色い椰子という意味だ。きっとたくさんのニュークニンが実っているのでしょう。ニュークニンは、聖水を入れる器として使われる。ムパンダス(ムサンギ)=削歯儀式では、生命を象徴するものとして使われている。
 インドネシア語で頭のことをKepalaというが、Kepalaの語源がKelapaといわれるように、いかに椰子が重要視されているかが、これでわかる。
 椰子の木は、捨てところがまったくないほど利用できる。若い実の時はバリ語で「Kuud クウゥッ」と呼ばれ、果汁は言うにおよばず果肉もゼリーのように美味だ。熟して固くなった果肉をおろしがねでおろしたフレークやそれに水を加えて絞ったココナツ・ミルクは、料理やデザートなどに利用される。ココナツ・ミルクを煮詰めて、浮いている油をとったものがココナツ・オイルになり、料理油や燃料として使われ、髪をしっとりさせるために塗ったりする。さらに果肉は乾燥させてコプラになり、石鹸や化粧品の材料にもなる。
 果肉をおおう硬い殻は、食器や塩、香辛料などの器として一般家庭で使われていた。近頃では、彫刻や絵が施され土産物として売られている。また殻は、炭にしてサテを焼く時などの燃料になる。
 外の厚い皮は、裂いて燃料とする。皮の繊維部分は、ヒモや敷物を作る。そのままで、たわしにもなる。バリ風ピクニックの時、カルタが捨てずに持って帰った椰子の実は、台所のかまどで使う燃料にするためだったのだ。
 シュロ椰子の幹を包む黒い繊維は、祠の屋根を葺くのに使われる。ジャコー椰子やロンタル椰子の花弁から出る樹液は、トゥアック(Tuak)と呼ばれる生酒だし、蒸留するとアラック(Arak)呼ばれる焼酎になる。ホーム・メードの酒は、家々で味が違い、酒飲みには格別の楽しみだ。トゥアックの取りたてを煮込むと、グラバリ(グラメラ)といわれるパーム・シュガー(椰子砂糖)になる。ここまでくると、椰子の実は、魔法の実だ。
 幹は、材木として使われる。中心部はカサカサで釘も止まらないくらい弱いが、逆に外縁はノコギリ、カンナの刃がボロボロになってしまうほど堅い繊維質だ。丸太のまま使うか、外縁を板材か角材にして使用する。
 葉もあますところなく使われる。長さ3メートル、幅1メートルはあると思われる大きな葉は、屋根に拭かれたり、編んで壁や日除けにする。大きな葉脈はサテ(串焼き)の串にする。1枚1枚の細い葉は、飾り物を作る。細く固い芯の部分だけをまとめると、ほうきになる。
 バリ・ヒンドゥー教の宗教儀礼にも、椰子はかかせない。供物(バンタンやチャナン)は、若い柔らかい葉で作られる。ウク暦に椰子の木を祀る日があり、この日は、椰子の木に供物が捧げられ、聖水が根元にふりかけられる。
 椰子の木ってすごいんだなと、つくづく感心させられた、今回のレポートでした。
 ちなみにわたしが関わっているブンブン・カフェ(2007年12月閉店)では、椰子の木から、雑貨小物、線香立て、器、ランプ、家具などを作っています。こちらも是非ご愛顧ください。



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