「神々に捧げる踊り」



■もくじ


プロローグ
第一章 バリ舞踊に挑戦
第二章 奉納舞踊の一年
   その一:プナタラン・クロンチョン寺院
       (1月15日)
   その二:バトゥ・ガイン寺院
       (2月3日)
   その三:ブキット・ムンティック寺院
       (3月12日)
   その四:ダラム寺院
       (5月5日)
   その五:プセ寺院
       (6月13日)
   その六:プナタラン・パンデ寺院
       (9月14日)
   その七:祭司の寺院
       (10月6日)
   その八:ダラム寺院
       (10月15日)
   その九:ジェメン寺院
       (11月14日)
   その十:デサ寺院
       (12月29日)


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プロローグ


 バリ人の信奉する宗教は、バリ・ヒンドゥー・ダルモと言われるものだ。土着宗教に仏教とジャワ経由のヒンドゥー教が融合して育った、バリ独特の宗教だ。
 その宗教儀礼にかかせないものにガムラン音楽がある。篤い信仰心に守られ、ガムラン音楽は現在も伝承され、なおかつ育成され続けている。その芸術性は高く、世界中から評価されている。
 ガムランは、インドネシア諸地域に残る伝統的音楽形態と楽器の総称で、鍵盤楽器を中心としたアンサンブルだ。鍵盤には、鉄、竹、木、青銅などの素材が用いられ、素材や形態によって名称がそれぞれに違う。
 バリでは、青銅製ガムランが主流で、銅鑼類が含まれるところから、ガムランのことをゴング(ゴン)とも呼ぶ。

                   ※

 1990年5月7日、わたしは 日本を離れ、寝床(すまい)を探す旅に出た。
 候補地の筆頭にあげたのがインドネシアのバリ島だった。南部の町の喧噪がたまらなく嫌で、山間部の村、ウブドを訪れた。
 ウブドでの生活は、まったくのんびりしたものだった。滞在日数が増すごとに、バリの底知れない魅力にとりつかれていった。そのひとつが伝統芸能だ。
 幾度も、バリの伝統音楽であるガムランと舞踊を観賞した。しかし、興味は惹かれるものの、のめり込むまでには至らなかった。
 そしてある日、ガムランと舞踊との強烈な出逢いをした。
 友人に誘われるままに、ウブドの村はずれにある寺院の集会場で催されているパフォーマンスを観ることになった。観客にまばらな客席に、わたしは 何の期待もせず腰を下ろした。
 舞台の左右には、舞台中央に向かってガムランが2列づつ並べられている。すでにガムランを前には、20数名の演奏者たちが姿勢を正して坐っていた。
 「今夜のパフォーマンスは、今までに観てきたグループとはどこかが違う」確信があるわけではないが、わたしは直感的にそう思った。
 演奏者たちが、金槌型の木製 バチを手にした。
 この時、彼らの全員から強い『気』のようなものが発散されているのを、わたしは感じた。
バチを持った右手は、あがるが早いか一斉に振りおろされ青銅の鍵盤を力強く叩いた。
 弾かれた音は、大小の黄金の鈴 となって宙に舞いあがり、眩いばかりの光であたりを満たしていった。寄せては返す波、風に揺らぐ葉、炎の揺らめき、自然界の持つ旋律に似て心地良い。
 予想した以上の、素晴らしい音が叩き出された。
 わたしは、音の世界に没入したくて、軽く眼を閉じた。
 閉じたまぶたの裏に、幻想的な世界が広がってゆく。
 天界から、黄金色の光を放つ一尾の鳳凰が、しなやかな長い尾で書する一筋の光跡を残して舞いおりて来る姿が見える。薄桃色の蓮の華が咲き誇る池では、もう一尾の鳳凰が、美しい真珠色の輝きを放ち舞っている。つがいの鳳凰は、求愛するかのように、たがいのまわりを翔びかう。翼や尾の微妙な動きに、青銅鍵盤の音が煌びやかに反応する。優雅な音だ。
 演奏者は、どんな表情でこんな素晴らしい音楽を奏でているのだろう。そんな好奇心から眼を開けた。
 網膜に、疾風のごとく鍵盤を操る演奏者のバチさばきが飛び込んで来た。これが人間技かと、瞳を全開にし固唾を呑んだ。
 音のシャワーが、わたしの身体中の毛穴をひとつひとつを押し拡げ、風通しをよくしてゆく。興奮で緊張した肉体(からだ)から毒気が剥がれ落ち、肉体がどんどん軽くなってゆく。
 一瞬、演奏者たちの表情が、いかにも満足そうな笑顔になった。彼らだけが共有できる感動を得た悦びだろう。
 つづいて舞台の奥中央にある開け放たれた扉から、みごとな刺繍のほどこされた短冊状の布を幾重にも重ねた衣裳に身を包んだ、男性の踊り手が現れた。両手を左右にかざし、勇壮に登場してきた。
 指先からつま先まで、全身に神経を張りつめた隙のない動きだ。かっと見開いた眼は、瞬きひとつしない。瞳は小刻みに動き、しだいに充血していく。
 冠に無数に散りばめられた貝殻片のようなものが、炎のように揺れ、閃光をまき散らす。短冊状の布は、激しい身体の動きにもかかわらず、しなやかにたなびく。踊り手が、演奏を指揮するかのように、音と動きがみごとに一体となっている。
 踊り手の発散するエナジーが、朝陽色のオーラとなって、彼の全身を包み込んだ。同時に、わたしの意識とエナジーが、彼の強い磁気に吸いこまれていった。
 「凄い! すごい! スゴイ!」
 心の芯で、わたしは何度も繰り返し叫んでいる。
 やがて、吸いこまれていったわたしのエナジーが、パワー・アップされて戻ってきた。バリのスピリットが、意識の中に吹きこまれたようだ。
 どこからともなく感動の波が沸き上がり、わけもなく目頭が熱くなってくる。いつのまにか、涙が頬を伝っていた。
 「グループは名前は、スマラ・ラティ。踊りは、バリス・トゥンガル。ソロで踊られる戦士の踊りだ。踊り手はアノムだ」
 友人は、そうつぶやいた。
 スマラ・ラティの公演を観て、わたしはすっかりバリの伝統芸能であるガムランと舞踊に魅了されてしまった。そして、これをきっかけにして、日に日にバリ芸能に惚れ込んでいった。

アノムのバリス・トゥンガル
バリス・トゥンガル




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