※このサイトでは、ウブドで一番最初にできた日本語旅行案内所《アパ?情報センター》(1995年8月20日設立)や、
バリをこよなく愛する長期滞在者・伊藤博史(1990年5月7日より滞在)によるウブドを始めとする《バリに関するいろいろな話題》が紹介されています。
※《ホテル、バンガロー、ロスメンやスパ》の予約、《レンタカー・バイク・自転車、車のチャーターやガイド》の手配、《オダラン ,バリアン などへのツアーやラフティング・ダイビングなどのアクティビティー》の申し込み、《踊り、楽器や絵などの習い事》の先生の紹介などなどが行えます。
※貴方の知りたいことを、Web版自由筆記帳(掲示板)に書き込み下さい。アパ?スタッフが全力を上げて回答いたします。
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2008年
09月24日(水):Hari Pegat Uwakan(プガッ・ウワカン)
10月04日(土):Hari Tumpek Krulut(トゥンプッ・クルルッ)
11月08日(土):Hari Tumpek Kandang(トゥンプッ・カンダン)
12月13日(土):Hari Tumpek Wayang(トゥンプッ・ワヤン)
2008年
09月:満月14日(日)・暗月29日(月)
10月:満月14日(火)・暗月29日(水)
11月:満月12日(水)・暗月27日(木)
12月:満月12日(金)・暗月27日(土)
バリでは、満月(プルナモ・bulan purnama)と暗月(ティラム・bulan tilem)の日に、寺院でお祈りをします。
暗月とは、月が隠れる日で、新月(bulan baru)とは異なります。
サコ暦に従ってオダランをする寺院は、満月の日が初日になることが多いようです。
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バリ島ウブドの仲間たちによる情報満載ブログ「blog Angkasa ubud」
http://angkasa.seesaa.net/只今テスト中
※ウブドではじめてのバリ家庭料理専門店。地元のワルン(食堂)ではお腹が心配、といって、レストランでは外国人向けにアレンジされていてつまらない。
そういう方にはピッタリの店です。アパ?(割引)カード使用可。
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2008年8月11日(曇):第27回・凧揚げ大会

10日の日曜、ウブド恒例の凧揚げ大会がウブド広場で催された。ウブド近郊の小学生対象の行われている大会で、今回で第27回、30年も続いている。年々、大会は盛り上がり今年を800を越す凧が参加し、子供たちの力作を競った。入賞者は、17日のインドネシア独立記念日に表彰される。大会は、毎年独立記念日前の日曜日に開催される。
2008年8月10日(晴、のち雨):子孫繁栄の寺院

ペジェン村にあるプセリン・ジャガッ寺院は、子孫繁栄を与えてくれる寺院として有名だ。寺院右奥の祠に、男女のシンボルのアルチャ(石像遺跡)が安置されている。この祠に子孫繁栄を与えてくれる力があると信じる多くの村人が、子宝祈願に訪れる。
★予約いただければ、プマンク(僧侶)立ち会いのもとで子宝祈願のお祈りができるお手伝いをします。
2008年8月3日(晴):一方通行の変更

ウブドの一方通行、試行錯誤中。デウィシータ通りは、侵入禁止表示版の下にバイク通過OKの表示が掲示され、バイクの両側通行可となった。
2008年8月2日(晴):側溝工事始まる

スコールが訪れると、必ず、洪水になる箇所がある。ウブド大通りとハヌマン通りの交わるT字路だ。ハヌマン通りは川と化す。スコールの後は、おびただしいゴミの山となっている。水源は、路地(写真左)から溢れ出す水だ。路地は、この奥の地域の雨水を集め吐き出す。側溝が雨量に間に合わず、溢れてしまうのだ。この雨量に対処するように側溝(写真右)工事が始まった。100×100×120のU字溝を埋設している。側溝の不整備は、ここだけではない。随時、工事を進めていくのだろう。
2008年7月25日(晴):一方通行の変更
ウブドの火葬儀礼が終わった日(15日)から、ウブドの一方通行が一部変更になった。これまで王宮からハヌマン通りT字路までのウブド大通りは、西から東への一方通行で夕方6時を過ぎると両側通行だった。これがバス、トラックを除いて終日両側通行になった。モンキーフォレストとハヌマン通りは従来とおり。デウィシータ通りは、ハヌマン通りからの一方通行がモンキーフォレストからの一方通行に変わった。突然の変更に、馴れない車が逆行する。この逆行にポリスが網を張っていて、検挙される車が多い。今回の一方通行変更で、混雑が解消されるとは思えない。
2008年7月22日(曇、時々晴):ローカル・グルメ通り

トゥブサヨ村のスクマ通りは、ローカル・グルメ通りだ。イダ・バグース・マニック通りは、バンジャールによって今は「スクマ通り」と変名されている。以前、ダラム・プリ寺院からバンジャールの建物までのおよそ200メートルの間に、ツーリスト向けのレストランが5店ほどあった。今では「ジャズ・カフェ」を残すのみとなった。[ビアン・カフェ]と[ロナ]は開店休業。スクマ通りは、ウブドの中心部から離れているので俗化が遅れているローカル色の残る通りだ。そんなところが欧米人ツーリストに人気で、ホームステイには欧米人客が多い。ワルンは完全に地元民対象。通りにはバッソ屋を含め小さなワルンが10店ほどある。
ユリアティ・ハウスの入り口で道路に向かって立ち、正面よりやや右手にあるワルン(写真:左)は、安いし日本人の口にも合う。パダン料理店のよう数種類のおかずがガラスケースに入っている、東ジャワ料理のワルンだ。軒先に[Warung Jawa Timur NASI CAMPUR]の垂れ幕が掛かっている。
バンジャールの建物から10メートルほど南に下った[Mama's Warung](写真:右)は、ホームステイ客対象だからローカルではないが、値打ちに食べられる。道路沿いの玄関脇に2人掛けテーブルが2つある建物と、屋敷内のテラスにある5席が店だ。ホームステイしている人には普通の風景だろうが、バリの伝統的家屋配置を見ることができる。こんな店も珍しい。
メイン道路を一本中へ入ると、今でも10数年前のウブドを味わえる下町感覚な通りがある。勇気を出して裏道を通ってみよう。
2008年7月21日(晴):王族・火葬儀礼の被害報告

ウブド大通りとトゥブサヨ村スクマ通りが交じ合うT字路。火葬儀礼当日(15日)は、観衆であふれていた。
ルンブー小のあと、ルンブー大が150人の担ぎ手によってT字路をクスマ通りに向かって廻る。その時、ルンブー大の担ぎ棒の竹が折れた。数人の担ぎ手が、手足に怪我をした。カメラを構えていたオーストラリア人の観光客が巻き込まれた。数針縫うという怪我だったと聞く。この後を、ナガ・バンダとバデ小が通り過ぎる。最後は、250人ほどの担ぎ手によって高さ28メートルといわれるバデがT字路を廻った。写真は、ルンブー大によって壊れた石塔。
2008年7月19日(晴):合同葬儀

パダンテガル村、5年に一度の合同葬儀。遺体は81。
2008年7月17日(晴):プリ・ルキサン美術館

プリ・ルキサン美術館で、芸術家組織「ピタ・マハ画家協会」に加わったバリ絵画の先駆者たちの展覧会が開催。詳細は、イベント&ウパチャラ(儀礼)スケジュール・予告に追加。
6月9日の「プリ・ルキサン美術館」のニュースで紹介した埋め立て地は、美術館専用通路(写真)と駐車場になった。
2008年7月16日(晴):ウブド王族の火葬儀礼

終わりました。凄い人出でした。写真左は、前日14日バデの上部に九重の塔を取り付けるところ。写真右は、火葬儀礼当日、遺体を降ろしたところ。
2008年7月14日(晴):お祭り騒ぎだ!

カフェ・アンカサ前の道路が、浅草の仲見世のような賑やかさになっている(写真左/右上部雨樋の横にバデと階段が見える)。一軒一軒の店ではなく、一画一画が葬儀をする家族のスペースで、供物が山のように積んである。夕方には、通り抜ける事が出来ないほど、村人で埋まる。ウブドは15日の火葬儀礼に向けて、一日中どこかで何かの行列があり、サレン王宮では毎晩のように芸能が催されている。ダラム・プリ寺院前に準備された火葬台の屋根も高い(写真右)。工事には鉄製の足場が用いられ、屋根も一般住宅と変わらない仕様になっていた。
2008年7月13日(曇、スコール、晴):バリ州知事選挙終了
7月9日にバリ州知事選挙は平穏に終了した。バリ・ポスト紙の出口調査では、マンク・パスティカ候補(闘争民主党支持)が57.97%を獲得し、当選確実。第2位のチョコルダ・グデ・ブディ・スルヤワン候補(ゴルカル党等支持)は24.22%、第3位のウィナタ候補(民主党等支持)は17.80%であった。バリ日本人会事務局よりの連絡から。
2008年7月12日(曇):火葬儀礼の準備

ウブド大通りの街路樹が、4メートルほどの高さ切り揃えられた。これは15日行われる今世紀最大の火葬儀礼の際、バテとプトゥラガンが通るに邪魔になるからだ。さすがに、市場の寺院(Pura Melanting)のご神木は切るわけにいかなかったようで残っていた。バデには、植物を象ったと言われるググヌンガンが下部に取り付けられる。その一葉が4メートル以上はある。左右に取り付けられるので、合計8メートル以上にはなる。そしてプラス、バデの大きさだ。担ぎ手の井桁だけで道路いっぱいになるのに、と心配になる。あまりの大きさに想像することもできないが、どう見ても、ご神木や看板や2階家にぶつかること間違いない。予想するに、巨大なググヌンガンは、障害物がある時は羽根をすぼめるように開閉するのだろう。
2008年7月8日(晴):ウブドの十字路

ウブド・サレン王宮の火葬式(7月15日)まで、あと一週間となった。ウブドの十字路の渋滞は、緩和されていない。夜には、王宮前の黒いルンブーがライト・アップされ作業が続けられている。その横では観光客が感嘆の声をあげている。
2008年7月3日(晴):アンカサのブログがアップ
バリ島ウブドの仲間たちによる情報満載ブログ「blog Angkasa ubud」。http://angkasa.seesaa.net/。テスト中だが、カフェ・アンカサの2階に設置したカメラからウブドの十字路を撮影している。今は、15日の火葬儀礼に向けて、刻々と変わる王宮前の風景が動画で見られる。
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空港駐車場のパンク魔に要注意!!
旅行者が増えるとはびこるのが泥棒。なかでも、このところ増えているのがパンク魔による被害だ。他人の車をパンクさせて喜んでいるだけの変態だと思っていたパンク魔も、バリでは手口の込んだ置き引きだ。
狙われる車種は主に、トヨタ・キジャンやスズキ・カタナなどのワンボックスタイプ。
手口は『空港ロビーに友人を迎えに行っている間に、タイヤに釘が仕掛けられる。友人と再会を喜び合い車に戻り、空港を出て30分ほど走るとタイヤの空気が抜ける。運転手はパンクに気づき、車を路肩に寄せる。運転手と友人は車から下り「時には、こんなこともあるよな」なんて軽口を叩きながらタイヤの取り替えをはじめる。取り替えも終わり、車に乗って気づく。パスポート、エアーチケット、現金、トラベラーズチェック、チャッシュカードなどの重要な物が入ったカバンがなくなっている。』
少しの時間だからといって隙を見せないように。パンク魔は、あとを着けていて近くで隙を狙っています。誰かひとりは車に乗っているか、大事な物は肌身離さないこと。空港駐車場からの出発前にタイヤ点検をするのが一番良い方法だが、たいていの人はそんなことはしない。パンク修理の場所も、できれば人の集まっている所を選んだ方が良いでしょう。
到着早々、嫌な思いをして帰っていく友人たちの後姿を見るのは辛いです。
振り込め詐欺に要注意!!
バリ日本人会事務局より、在留日本人会会員の振り込め詐欺被害を未然に防いだ報告を頂きました。本人の承諾を得て
原文のままで報告します。
『昨日の午後は、ウブド在住のAさんが来て裏庭の東屋で将棋を指していた。電話が鳴って、女中が受話器を取ったようだった。しばらくすると、女中が切羽詰った声で私を呼んだ。警察からの電話で、妻が事故にあったという。電話を換わると、ポルダー(州警察)の何とかという男が出て〈お宅の奥さんと子供が事故に遭った。プルタミナ石油公社のタンクローリーとぶつかって、奥さんは頭蓋骨骨折で意識不明、息子さんも頭に怪我、左腕も骨折。〉 当然のことながら、私は唖然としてしばし絶句した。ポルダーの男の話が続く。〈奥さんの名前は、○○。息子さんの名前は、△△。乗っていた車は、××ですね。〉 話が非常に具体的なので、私はいちいちうなずく。〈奥さんと息子さんは、サンラ国立病院1階の救急治療室に運ばれた。今から担当医の携帯番号を言うから、控えて、そちらに電話してくれ。〉 急いで件の番号に電話すると、医者だと証する男が出て、私の問いに応じて怪我の状態を話した。緊急の手術が必要だといったことも言ってきたようだった。妻と息子はピアノ教室に通う日だった。2人の面影が脳裏に浮かぶ。もう一緒にテニスもできなくなるかもしれない。しかし、乗っていった車は、エアバッグ搭載車だ。タンクローリーとぶつかったからといって、頭が割れるだろうか? かすかな疑問が浮いてくる。私は医者に言った。〈とにかくすぐにそちらに行く。最善を尽くしてくれ。〉 医者は言った〈ちょっと待ってくれ、こちらに来る前に手術のためのお金が必要だ、用意はできるか。〉 このあたりからなんだか話がわかりづらくなってきたので、電話を女中に代わってもらって、私はもう1台の車のキーを探しに寝室に行った。キーが見つからない。(実は妻が持って行ってしまっていた。)電話のところに戻って、女中がしゃべっているのをそばで聞いていると、〈銀行はどこか〉とか〈ATMがどうのこうの〉という話になっているようだった。私は、1人でつくねんと東屋に座っていたAさんを手招きした。Aさんが来たので、妻の携帯番号を示し、Aさんの携帯から電話をかけてもらった。すぐにつながって、のんびりしたピアノの音が聞こえてきた。〈今どこにいるんだ!〉 それでも私の声は、とんでもない怒鳴り声だったようだ。まだ話を続けていた女中の受話器をひったくるようにして、私は医者に怒鳴った。〈コノャロー、貴様何者だ!(これだけ日本語)よくも嘘をつきやがったな。お前の名前は何だ!〉 相手は突然の変化にびっくりしたらしい。10秒間ぐらいもぐもぐ言っていたが、電話を切った。夕方になって、妻と息子が無事に帰ってきた。思わず二人を抱きしめた。女中の話。最初に電話に出たとき、警察からだと称する男に私の妻と息子の名前を聞かれた。彼女はそれに応えたあと、なぜそんなことを聞くのかと相手に尋ねた。相手は〈事故があった。乗っていった車は何か〉とさらに尋ねた。このような情報を手に入れた後で、私に電話を換わるように促した。私とのやり取りの間に、妻の携帯の番号を聞きだした。私はやはり動転していたのだろう、女中に代わってもらって番号を言わせた。(私は番号など覚えていない)私が医者と称する男と話している間に、別の男(ニセ警察官)が妻の携帯に電話し、〈覚せい剤の取調べがあって、あなたには関係がないのだが、30分ほど携帯の電源を切っておいてくれ〉と言ったそうだ。妻は話を聞き流し、電源は切らなかった。その後ニセ警察官は、立て続けに5回、妻の携帯に電話をかけてきたそうだ。Aさんに電話をかけてもらったとき、妻の携帯が話中だったりしたらもう少し事態はまずくなっていた可能性もあった。』
この手の詐欺が、東南アジア全域に広がってもいるそうです。くれぐれも気をつけてください。
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