ニュピ (Nyepi)



 ガルンガンに続いて、ツーリストが「自分はツーリストだ」ということを痛感するのが、ニュピの祭礼ではないだろうか。
 その日1日は、労働、通りへの外出、火の使用、殺生などが禁じられている。火は、現代では電灯も含まれる。この4つを守り、精神を集中させ、心を穏やかにし、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈る、バリ・ヒンドゥー教徒の慣習だ。
 これがバリ人だけの話なら、ヒンドゥー教徒って敬虔なんだなと感心するだけだが、この4つの禁止は、バリ島にいるすべての人に義務づけられる。ヒンドゥー教以外の宗教を信仰するインドネシア人、そして、ツーリストにも外出と火の使用禁止はかせられる、という世界中でも珍しい祭事だ。
 信じられないのは、観光で経済が成り立っている島なのに、この日、国際線の航空便を含む島内すべての交通機関がストップするのだ。毎年バリでニュピを迎えているわたしだが、昨年はスンバ島からの帰路、飛行機が週1便しかなく、ニュピ当日に当たってしまい、ロンボク島で足止めをくった。その時、本当にニュピの日は入島できないのだと実感した。
 4つを守るということは、わたしにとっては、手足を取られたようなもので、まったくなにもすることができない。ガルンガンの時は、外出できて数軒ではあるがレストランも開いていた。ところがニュピは、心臓でも止まったかのように、バリ島が沈黙する。
 何もすることがないからといって、バリ人のようにお祈りに没頭することもできない。とは言え、1年に1度くらい、何もしないで、自然たちの物音に耳をそばだてながら、美しい星空を眺めるのも心が癒されることだろう。できることなら、心を静かにして、自己をかえりみる時間についやしたいと考えている。
 ところでバリ人は「精神を集中させ、心を穏やかにし、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈る」なんてことを本当にしてるのだろうか。わたしが見聞する限りでは、少し疑問に思う。
 ガルンガンはウク暦の祭礼日であるが、ニュピは、バリの2つある暦のもうひとつサコ暦の祭礼日だ。サコ暦は、月の満ち欠けと密接な関係がある太陰暦で1年が巡る。人々は、満月、新月に供物を捧げる。1年の穢れを払い浄める、サコ暦の最大の祭儀がニュピだ。例年、雨期の終わる3月か4月の新月の日にあたる。
 ガルンガンほど忙しくはないが、それでもバリ人には、いくつかの儀式に参加しなくてはならない。
 ニュピ前々日は、御神体のお清めに海や湖や川へ行く。これは、ムラスティと呼ばれる儀式だ。バリ島中の村がムラスティのため、混雑するのをさけて3日前頃から行われている。
 ニュピ前日の月が隠れてしまう暗月(ティルム=Tilem)に、冥界のヤマ神が大掃除をするので、悪霊ブト・カロ(Bhuta Kala)が地界から追い出され、地上にはい出て来る。あらゆる十字路で、生贄を捧げ、ムチャル(悪魔払い)儀礼が行われる。
 夕方になると家々では、鍋釜など音の出るものを手に、屋敷内の隅々をガンガンと鳴らしながら廻る。道では爆竹がうち鳴らされる。夜には、各村々でオゴオゴと呼ばれる3メートルから4メートルもある張りぼて人形が練り歩く。張りぼては、おどろおどろした悪霊や妖怪がほとんどだが、最近は、これとは関係ないスパイダー・マンやゴジラもどきなども登場する。昨年のデンパサールでは、悪霊に混じって、クタの爆弾テロの犯人のひとりが、爆弾を抱えてオゴオゴになっていた。とにかく、こうしてブト・カロを追い出すのだ。
 今年(2004年)は、4月にインドネシア大統領選挙があり、少々興奮気味の島民に刺激を与えないようにとの配慮からオゴオゴが中止になってしまった。ツーリスが唯一、明日はニュピなんだと、いやがおうでも感じることができる、オゴオゴの行進がなくなった夕方のウブドの道には、ツーリストの姿がまったく見えず、もうニュピになったのかと錯覚なするほど静かだった。オゴオゴ見物がないと、ツーリストは蚊帳の外の追いやられた感じだ。来年は、今年の分も含めて盛大に練り歩いて欲しいものだと長期滞在ツーリストのひとりとして思うのだった。
 ブト・カロをすべて追い払った翌日、新しい第10番目の月サシー・カダソー(Sasih Kadasa)の第1日目がニュピだ。ニュピは、バリ語のスピ(Sepi=静かな)が語源で「静寂の日」とも言われる。いかにも「この島には誰もいません」と言うように、生活の匂いを感じさせないよう家に引きこもり、ブト・カロに見つからないように静かに過ごすのだ。そんなことを本当に信じ、いつから始まった儀礼か知らないが、現在まで続けているのは驚異である。人口300万全島あげて静寂してしまう慣習ってすごい。
 島中の人々が外へ出ない、夜は電灯も付けないなんて、最初、私は冗談だと思っていた。しかし、実際に体験してみてよくわかった。島民は、見事にそれを守っていた。
 夕方4時から5時頃のマンディ・タイムには、川や泉に出掛けてもいいようだ。家々にマンディ場のない時代から始まったのは確かだろうが、「そんなことしてては、ブト・カロに見つかってしまうんではないのか」と言うわたしに、友人のバリ人は「きっとブト・カロもマンディしてんだよ」とうそぶく。
 マンディ・タイム以外、ニュピの日にそこらを徘徊する人間は、泥棒以外にいないだろう。警察と村の警備団が、常に巡回していて、徘徊する怪しい人物は逮捕される。なんでも、クタ方面で外出していた人が、警察官に撃たれたという話を聞いた。恐い恐い。
 わたしにとって、もっと恐いのは、もし、病気になったらどうするんだろう、と言うことだ。以前、友人イワン君の奥さんの出産予定日がニュピ当日だった。予定日間近で、どことなくソワソワ気味のイワン君に、ニュピの日に産気づいたらどうするのか、と訊いてみた。
 これは病気もケガも同じで、まず、警察に電話をして事情を説明する。緊急の場合は、警察の車に乗せてもらうか、マイカーを持っていれば、パトカーに先導してもらって病院に運ぶのだそうだ。電話を持っていないわたしは、どうするんだ。にわかに心配になってきた。やっとのことで警察に電話したら、今度はコミッシーの交渉をしなくてはいけなかったりして。そこまで疑っていては、生活できないか。
 幸いにして、イワンさんの奥さんはニュピの3日前に出産し、ニュピ前日に退院して、家に帰ったそうだ。そんなわけで、いまだニュピ当日にパトカー先導で病院に担ぎ込まれた人が友人の中にいないので真実は定かでない。
 翌日の朝陽が昇るまでがニュピで、火が使えないため、食事は前もって用意しておく必要がある。1日くらいひもじい思いをしても死にはしないのだが、わたしは、ミニ・スーパーで食パンを買い、友人の店で白飯をもらった。白飯さえあれば、お茶漬けでサラサラだ。ガルンガンの時は、ダドンのアヤム・ゴレン三昧でうんざりして、お茶漬けコールをしたものだが、今日は、仕事場へも行けないし、たとえ昨日のうちから作業場にいたとしても、ダドンも外出はできないので来ないだろう。ダドンは、私の住まいを知らないので、アヤム・ゴレン・ダタン(来る)という事態にはならないだろう。
 ちなみにダドンは、ニュピ早朝に仕事場に来て、誰もいないので送ってもらえず泊まっていったようだ。「なぜ、お前は来なかったのか」と怒っていた。ニュピを知らないのか、それとも、ダドンだから外出を許されるのか。なんでも、制作途中のテーブルをベッドにしたが、妙なところに木が出ていて腰が痛かった、と愚痴っていた。
 わたしはと言えば、次の日はアヤム・ゴレンが恋しくて、さっそく昼食はナシ・チャンプール屋に飛び込んだのだった。
 そんなこんなのニュピ。みなさんも是非1度、経験してみて欲しい。

 極楽通信・31「四郎のニュピ体験」もご覧ください。

 日本にもその昔、ニュピのようの1日があったようだ。京極夏彦著「今昔続百鬼ー雲」に、コト8日と言われる忌み日があり、その日は1日なにもしないでおとなしく精進するのだそうだ。といっても日本国中というわけではなく、村単位の習俗だったようだが。



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