連載:ウブド奇聞

 これは、世間にあまり知れていない、ウブドにかかわる人々の可笑しくもあり悲しくもある変わった話の数々を綴ったものです。


その二:妖怪ガマンは赤たまねぎが苦手


 ウブドのセンゴール(Senggol=ナイトマーケット)は、1989年から村人と節約ツーリストたちの胃袋を満たし、更にツーリストにとっては情報交換の場として、また新たな友人をつくるきっかけの場として絶好のスペースであった。残念なことに、1993年11月22日に閉鎖された。
 これは、ウブドにまだセンゴールがあった頃の話だ。
 そのセンゴールに、通称「ウブドの無責任男」と呼ばれている鬼頭さんが常連としているワルンがあった。ミユキという日本人女性がバリ人の彼と経営しているワルンだ。店名はない。もっとも仮設テントの屋台で店名をつける必要もないだろう。
 「無責任男」の命名は、ミユキがした。由来は知らないが、鬼頭さんの行動を見ていると、なんとなく名前の由来が理解できるような気がする。
 その名無しのワルンに、最近ひんぱんに通ってくる青年がいる。
 スポーツで鍛えたと思われる屈強な体格をしている熊ちゃんと呼ばれている男性だ。大学の卒業を残り数ヶ月と控え、学生時代の思い出に東南アジア諸国を旅する計画で日本を出た。そして、最初に訪れたのがインドネシアのバリ州だった。
 ところが、最初の訪問先バリではまってしまったようだ。このままだと、他の国へは行かず、ウブドだけで卒業旅行は終わってしまいそうだ。
 ウブドは、想像以上に居心地が良い土地で、いつの間にか滞在を伸ばしてしまう。そうして、諸国巡りの旅をあきらめてしまう旅行者も多い。忠告「バリは、旅の最終に訪れるのが良策」
 熊ちゃんが、テラスで横になりうたた寝をしている鬼頭さんの前に現れた。
 「おや、久しぶりだね、熊ちゃん」
 気配を感じて眼を開けた鬼頭さんは、横になったままそう言うと身体を起こした 。
 「俺、きのうロンボクから帰って来たばかりで、この1週間ばかりミユキのワルンに行っていないんだよ。熊ちゃんは相変わらず行ってる」
 熊ちゃんは鬼頭さんの言葉が聞こえないのか、その質問に答えず
 「僕は別に怖くはないのですが」とトンチンカンなことを言い出した。
 熊ちゃんの腑に落ちない態度を見て、これは何か重要なことが起こったようだと察知した鬼頭さんは、彼をテラスに招いた。
 「まあ、コピでも飲んで落ち着いて」
 コピ・バリをふたつ作り、ひとつを青白い顔であぐらをかいている熊ちゃんの膝の前に置いた。
 「ところで、いったいどうしたの」
 熊ちゃんは市場の裏にある「S・ハウス」に滞在している。その部屋で昨夜までの3晩に起こった不思議な現象の話をはじめた。
 話はこうだ。3日前の深夜、ベッドに入り電気を消すと天井裏を何かが歩く音が聞こえてくる。ネズミかトッケイにしては音が大きい。といって猫の足音でもない。そんなはずはないのだが、どうみても、これは人間の足音としか思えない。
 足音が止むと、今度は、すみのテーブルがコトンコトンと小さな音をたてた。熊ちゃんは、月明かりの中でテーブルを凝視した。すると突然、テーブルはすーっと持ち上がり、ゴトンと大きな音をたてて落ちた。この時は、さすがの熊ちゃんもびっくりしたそうだ。
 翌朝、天井のあらゆるところを調べてみたが、人間どころか猫1匹出入りできるところは見つからなかった。しかし、あれは絶対人間の歩く音だ。
 2日目も3日目も同じことが起こった。
 「怖くはないんですがね。正体はいったい何でしょうね」
 家主のロジャーが暗闇から顔を出した。われわれの話が深刻そうなだと見て取って、覗いたのだろう。バリ人は好奇心の強い出しゃばりが多い。
 鬼頭さんが熊ちゃんの話を告げると、ロジャーの顔がこわばった。
 「それはガマンだ。ガマンが君を誘惑に来たんだよ」
 「えっ、こんなことガマンしなくちゃいけないの」
 鬼頭さんよりインドネシア語のできない熊ちゃんは、ガマンというところしか理解できず裏返った素っ頓狂な声で叫んだ。
 「それは、どこのホームステイだ」
 ロジャーは興奮気味に聞いてきた。
 「市場の裏の・・・」
 熊ちゃんの言い終わらないうちにロジャーは「S・ハウスか」と彼の泊まっているホームステイの名前を言い当てた。
 鬼頭さんと熊ちゃんは顔を見合わせた。
 「どうして知ってるの」
 「S・ハウスには、以前からガマンが出るという噂があるところだ」
 なんでも家を建てる時に大きな樹を切ったが、お祓いの儀式をしなかった。その時の木の霊がまだ迷っているのだろうということだ。
 「ところで、そのガマンというのはなんですか」
 鬼頭さんはロジャーに聞いた。
 ガマンは姿は見えないのだが、女性の妖怪で男性を誘う。他の村で、男児が神隠しにあったように突然いなくなることがあった。家族や警察がどんなに捜しても見つからない。ある日、深い谷底でいなくなった子供がマンディしているところを友だちが見つけ声をかけたが、その瞬間、子供は消えてしまったそうだ。まったく知らない村で見かけたという話も聞く。よくある話だそうだ。
 ロジャーのこの話を熊ちゃんに伝えると
 「別に怖くはないですがね」
 発言は強気だが、どことなく覇気がない。
 「熊ちゃん、やせガマンしないでよ」
 鬼頭さんのくだらない冗談に、いつもならするどい突っ込みをいれる熊ちゃんが、今日はまったく反応しない。
 「今夜寝る前に、裸になって全身に赤タマネギをぬりつけなさい。そうすればガマンは君の身体が見えずどこかへ行ってしまうだろう」
 そう言い残して、ロジャーは赤タマネギを取りに台所へ行った。
 バリでは、赤タマネギは魔よけになるといわれている。ドラキュラーや疫病祓いのニンニクのようなものか。
 ロジャーの後ろ姿が暗闇に消えると、突然「ドスン」大きな音がした。
 鬼頭さんと熊ちゃんは身体を硬直させた。
 庭の椰子の実が、地面に落ちた音だった。
 「耳なしほう市のような話だが「アソコ」にもやっぱり赤タマネギをぬるのですかね」
 熊ちゃんは困ったような顔を見せて鬼頭さんに聞いた。
 「もちろんそうだろう。そうしないとそこだけがガマンに見えて持って行かれるかもしれないぞ」
 「おどかさないでくださいよ」
 ロジャーが戻ってきた。
 「これをぬりなさい。どちらにしても「S・ハウス」の主人に頼んでお祓いをしてもらったほうがいい」
 熊ちゃんは赤タマネギを持って帰っていった。
 つぎの昼過ぎ、鬼頭さんは「S・ハウス」を訪ねた。
 裏庭の切り株を前にして、熊ちゃんと家の人がお祈りをしているところだった。
 「きのうは何もなかったよ」
 熊ちゃんは昨夜、ロジャーに言われたように、全身に赤タマネギをぬり裸で寝たらしい。
   お祓いをすませたことだし、これでガマンは出没しないだろう。
 鬼頭さんは「夕食には時間が早いが、ミユキのワルンでビンタン・ビールで一杯やろうか」と、元気をとりもどした熊ちゃんを誘った。
 ミユキに、熊ちゃんの不思議体験の話をすると、たいして驚きもせず
 「バリは、いろんな不思議なことがおこるところよ」
 いかにも、自分にも似た経験があるような発言をした。
 ミユキに限らず、そういった超自然現象に敏感な人も、そうでない人も、バリに滞在する間に不思議な事・物に出くわすことがある。女妖怪・ガマンは少々恐ろしげだが、アニメ映画「トトロ」に出てくる妖精のようなものも、バリにはたくさんいるに違いない。
 この島では、あらゆるものに「精霊」が宿ると信じられ、ことあるごとに供物を捧げる。その眼に見えないものたちが、何かをしでかしたり姿をあらわす時は、たいてい供物の要求である。小さな供物で済めばいいが、「子豚の丸焼きいっちょう!」と要求される場合もあれば、タバコの銘柄から本数まで、ご指定されることもあるらしい。
 熊ちゃんは、きっと「トトロ」に登場する子供たちのように純粋な心の持ち主だったに違いない。ガマンはそんな熊ちゃんに、供物の不足をうったえたのだ。
 みなさんも、バリで不思議なことに出合ったら、身近なバリ人に相談してみることをおすすめする。



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