連載:ウブド奇聞

 これは、世間にあまり知れていない、ウブドにかかわる人々の可笑しくもあり悲しくもある変わった話の数々を綴ったものです。


その四:神との交感


 居酒屋・Kamakuraののれんを、初老の男性が両手で左右にわけ入ってきた。
 開襟シャツ姿は、ネクタイこそつけてはいないが、商社を実直に長く勤め上げた元サラリーマンという感じだ。顔に、どことなく憔悴したものが見える。そのわりのは、動作は敏捷だ。
 レジ・カウンターで、スタッフのニョマンに何ごとか訊ねている。ニョマンは主人であるYosituneを指さした。
 初老の男はYosituneの坐るテーブルに近づいた。
 軽く会釈をし、尋ねたいことがあって訪れたことを告げた。
 Yosituneは向かいの席をすすめた。
 その男は、白いものの目立つ髪を右手でなすりつけると、話はじめた。
 内容はこうだ。
 3ヶ月前、スイスへ旅行に行っている娘から「これからインドネシアのバリ島へ行く」とただそれだけが書かれた、噴水のある湖の絵はがきが送られてきた。いつもまめに手紙や電話をしてくる娘からは、その後、まったく連絡が途絶えてしまったということだ。
 「バリ島に知り合いはいないので、日本人の集まりそうなところをまわって情報を集めています。領事館にも尋ね人として探してもらうことを頼んできました」
 男性は娘の名前と年齢、そして特徴をYosituneに教えた。ウブドに滞在する日本人女性のことなら、自分が1番よく知っているはずと自負するYusituneに、心当たりのない女性の名前だった。
 「今までのところ、まったく情報がつかめず困っています」男は続ける。
 哀願するような眼は、なかばあきらめているいようにも見える。
 Yosituneは「もしかしたら・・・」と心でつぶやいた。期待を持たせる言葉を吐いてはいけないと思ったのだ。
 眼前の落ち込んだ男性の姿を見て、元気づける言葉を探し求め「とりあえず、私のこころあたりを当たってみましょう」と言ってしまった。この一言に男性は勇気づけられたのか、ホテルのアドレスを書いた紙片をYosituneの掌に押し込み、感謝の言葉を述べて帰っていった。
 かつてUBUDには、インドの瞑想グループ・サニアシンのツーリストたちが多く滞在していた時代があった。いわゆるヒッピーと呼ばれる人たちだ。彼らは楽園を求めて、この地に漂泊した。北部バリ、シンガラジャの近くイエサニ村やバンジャール村に、瞑想スペースを持っていたこともある。
 また、インドのクリシュナ教を信仰して、村人から閉め出されたバリ人がいた。最近はサイババを信仰するバリ人もあらわれている。サイババはガネーシャを崇拝していて、バリ・ヒンドゥー教と共通点があり許されているようでもある。どちらにしても、インドからの影響が多い。しかし、これらは新興宗教ではない。
 Yosituneがもしやと思ったのは、最近、バリで新興宗教のようなものが流行っていて、そこに、日本人女性がいるという噂であった。新興宗教といっても、新しいというわけではなく、逆に、アミニズムに近い古い宗教だ。
 自然を崇拝し、儀式では神憑りにトランスするものが続出する。これを目の当たりにした者は、この不思議な現象に信仰心をいだくという。
 このグループは、アシュラムのような「合宿所」をアグン山の山深い所につくっている。そこは、水と温泉が豊富に湧き、強い磁場に守られた、瞑想に適した土地だ。
 少し前、そこで近くの村といざこざがあったと聞いた。バリ人はバリ・ヒンドゥー教を篤く信仰している。目と鼻の先で、よくわからない宗教を起こされてはたまらないと思ったのだろう。村の組織が1団となってアシュラムの住民を追い出そうと、投石したそうだ。アシュラムのメンバーも投石で応戦した。警察が出動して鎮圧したが、冷戦は続いている。
 インドネシアはイスラム、カトリック、プロテスタント、ブッダ、ヒンドゥーの5つの宗教しか認めていない。がしかし、まだまだ島々には、アミニズムが残っている。バリには、ヒンドゥー教が今のように確立する以前の宗教を守り続けるバリ・アガと呼ばれる集落がいくつかある。
 Yosituneは、さっそくアシュラムに行ってみることにした。
 そのアシュラムに行くには、途中いくつかの集落を抜ける。行き止まりに見えるブッシュをわけると、獣道のような細い道に人の踏み込んだ跡がある。いかにも人里から遠く離れているかのように見えるが、バリは、まさかこんなところにはと思う土地にも民家はある。
 Yosituneは、アシュラムに侵入した。
 信者たちは畑を耕し、30年ほど前に日本でも流行った運命共同体のような生活をしていた。どちらかというと、ひと昔前のヒッピーの集まりのようでもある。しかし、ロケーションはすばらしい。
 小高い丘のある土地をひと山借り受けて作ったアシュラムは、山頂に神と交感する瞑想スペースがある。川が流れ、岩陰のどこでも水浴ができる。露天風呂の脇に、ログハウスのような丸太小屋が数棟並んでいる。小動物たちが木々の間を自由に駆けまわっている。池にはピンクの蓮が開き、絵画的美しさをみせている。
 Yosituneの姿は、ヒッピー集団に溶け込んでいるらしい。誰も、侵入者としてとがめられなかった。
 彼女はすぐに見つかった。欧米人、インドネシア人の中で、日本人女性は見分けやすい。
 山の夜は早く訪れる。太陽がアグン山に沈むと、Yosituneは、彼女をアシュラムから連れだした。
 今夜は月の隠れる新月。白装束の信者たちが、地霊を鎮める儀式をおこなっている。
 電気がないので、暗闇に紛れるのはたやすかった。嬌声が聞こえる。早くも神憑りになった者があらわれたようだ。
 下山するには少し骨が折れたが、満天の星が時々、ひとつふたつと流れるたびに足を止めた。眼下の街の明かりが蛍の光のようだ。その向こうは海。水平線には、イカ釣り船の灯明がぼんやりと見える。
 「スイスでフランス人女性と意気投合したの。私は人との出合いを大切にするようにしているの。心のふれあいを感じた時、私はその人を信じることにしている。その彼女が、ここの宗教のすばらしさを毎日のように話すので、興味があって訪れてみたわけ」
 居酒屋・Kamakuraに戻ると、彼女が話はじめた。
 「神憑りした信者のひとりが、私の両肩を強く押さえたの。そして私に『あなたもこっちの世界に来なさい』とでも言うように手招きしたの。覚えていないけど、その瞬間トランスに入ってしまったようでした。気がついた時は、私は聖水を浴びていたんです」
 遠くを見る眼が浮遊している。思い出しているようだ。
 神憑りした人は「どすん、どすん」という音がするほど、素足で地面を強く踏んづけるらしい。地下の鬼神を鎮めているのだと言う。これは相撲のしこを踏むのと似ているとYosituneは思った。相撲は豊穣のための儀礼で、魂鎮めのものだった。しこを踏むのは、邪を踏み破って豊作を祈るのだ。
 「楽しかったけど、私、畑仕事好きじゃないし、それに、もう飽きちゃった」と彼女は あっけらかんと言う。
 あんな山の中では、日本の両親に連絡の方法はなかったかもしれない。理由はともかく、親が心配しているのに何を考えているのだ。Yosituneは少しお説教したい気分である。
 お父さんの泊まっているホテルのアドレスを、彼女の掌に押しつけた。
 のれんを左右にわけて入ってくる客が見えた。初老の男性だ。偶然にしても、タイミングのよい入場だ。
 娘の「お父さん」の叫びと、男の涙が同時だった。
 数ヶ月後、その宗教集団の幹部が大麻栽培で逮捕されたニュースが流れた。なんでも、バングリ県、カランガッサム県、シンガラジャ県の県境地帯は、黄金の三角地帯だったそうだ。
 その数日後、宗教集団は崩壊した。(この話は、かなりの部分がフィクションです)



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